欅坂46『もう森へ帰ろうか?』のMVが2018/02/28に公開されました。
レビュー記事はあまり書かないので苦手ですが、良い曲だったのでぜひ聞いて欲しいです笑笑。
欅坂46のメンバーはまだ学生が多く、歌も学生であるメンバーに寄り添ったものが多いと感じています。
そんな欅坂の歌は子供の頃、たぶん僕が中高生の頃に悩んでいたものを思い出させてくれました。
虚無感
学生の僕はアホみたいに時間があります。起きている時間の大半はなんの価値もない時間です。
そうした生活を続けていると、不意に「なんでここにいるのだろう?」みたいな思春期特有のどうでも良いことを考えて病んでしまいます。もしかしたら社会に出ても変わらないのかもしれませんが。
こんなに時間があるのに何もしていない。何もできない。じゃあなんのために生きているの?そんな虚無感です。
理想と現実のギャップ
僕はその虚無感は「現実と理想のギャップ」から起こるものだと考えています。
思い描いていた生活とは遠く、今の生活に価値を見いだせない。そんな現実と理想のギャップに耐えられなくなった瞬間に感じるもの。なのかな。
たぶん自分の理想通りに生きていると実感している人って少ないんじゃないかと思います。
悩むことが何もない世界。そこまでいくともう存在するかって話ですが、これが理想ですよね。極論ですが、僕たちは悩みを解決する為に生きているのですから。
逆に悩みが無くなったらそれはもう生きている意味がないんじゃね?って気がついたのはいつだろう。そう考えると結局理想の世界なんて無いのかもしれないですよ。
どこまで行っても理想と現実の違いは出てきて、想像していた世界とのギャップに胸を痛めてしまう。。。
それを知っていながら生きていくのって矛盾を感じますよね。
小学生の頃
小学生の頃、寝る前に死ぬことを考えて怖くなったのを思い出しました。今でもあのときの感覚は覚えています。
結局死んだらどうなるの?なんで大人たちは平気な顔して生活できるの?あの時の疑問に答えは出ていません。
でも、僕は今なんだかんだ生きています。
答えをだすことはできませんでしたが、問われていることを忘れることはできました。友達と遊んだり、目の前に迫っているテストに焦っている時にそんなことは一切思い出さなかったです。
『もう森へ帰ろうか?』
『もう森へ帰ろうか?』で歌っているユートピアはどんな場所だったのでしょうか。
必死で夢を追いかけた先には何もなかったから帰ろうなんて随分と救いのない曲だなと、思いました。
MVは「大量消費されるアイドル」をテーマに作られているらしいです。
悪意あるコメントが壁一面に貼られていている演出は正直ゾッとしました。
欅坂はワンパターンだとかアーティスト気取りだとか書かれていましたが、それを受けても今の欅坂は変わって欲しくないですね。独自の路線を築いていこうとしたら批判がくるのは当たり前です。
消費されない、欅坂だけのスタイルを確立して欲しい。っていう僕の勝手な願望。
サイレントマジョリティーがヒットしていたあの頃の欅坂も、今の欅坂もどっちも違った良さがあっていいですね。僕はどっちも好きです。
そんな話でした。